2011年4月24日日曜日

岡本太郎生誕100年 山下裕二さんが選ぶ本

■思想の普遍性に大きな意味
 今年は、岡本太郎(1911〜96)生誕100年。東京国立近代美術館の「岡本太郎展」(5月8日まで)、太郎の誕生日である2月26日から放送されたNHKの連続ドラマ「TAROの塔」をはじめとして、太郎100歳を寿(ことほ)ぐ企画が目白押しだ。

 太陽の塔を通じて漠然と太郎の存在を知ってはいるが、なぜいま岡本太郎なんだろう、と訝(いぶか)しく思っている中高年の方、またリアルタイムではまったく知らないが、ここ10年ほどの「太郎ブーム」を通じて新たに興味を持った若い方も多いだろう。そんな人たちが、岡本太郎の存在をより深く理解するために繙(ひもと)いてほしい本をいくつか紹介したい。
 まずは、太郎自身の著作。私が彼の存在に深入りしはじめた96年当時、つまり太郎が没した時点ではそのほとんどすべてが絶版だったが、さまざまなかたちで復刊が果たされてきた。その中でも決定版といえるのが、この2月から刊行が開始された『岡本太郎の宇宙』全5巻(ちくま学芸文庫)である。
 いまの時点で3冊が刊行されているが、もっとも重要な著作である『今日の芸術』(54年)、『日本の伝統』(56年)はこの文庫版全集で読むことができる。私は編者の一人であり、詳細な解説も付したので、ぜひ参照していただきたい。しかし、文庫本という制約があるため、初版に収められた図版を収録することはできなかった。いまどき、ネット書店や図書館で初版を入手することも比較的容易だから、『日本の伝統』の場合はとくに、太郎自身が撮った写真も収められている初版をぜひ参照していただきたい。

●写真にも重要性
 ちくま学芸文庫版に収録予定のうち、いまだ刊行されていないが他の文庫で読めるもっとも重要な著作は『沖縄文化論——忘れられた日本』だろう。初版は61年。その前年、「中央公論」誌上に連載され、三島由紀夫、川端康成らに絶賛された鮮烈な紀行文である。なおこの時期、太郎が残した著作では、写真がきわめて重要な役割を担っている。実は、太郎の写真に注目が集まったのは没後のことだが、それをある程度集積した写真集として『岡本太郎が撮った「日本」』(毎日新聞社、1470円)をあげておこう。
 太郎100歳の誕生日に合わせて、さまざまな雑誌が同時多発的に岡本太郎特集を組んだ。「芸術新潮」3月号の「岡本太郎を知るための100のQ&A」、「別冊太陽」の「岡本太郎新世紀」、「カーサ・ブルータス」4月号の「あなたの知らない岡本太郎」など。いずれも太郎入門のために、懇切な誌面をつくっている。豊富なヴィジュアルが盛り込まれたこれらの特集でまずはイメージをつかんで、それから太郎の思想の核心に踏み込んでほしいと思う。そしてさらに深入りしたい方には、かなり高価だが斬新な編集による『岡本太郎爆発大全』を手にとられることをお薦めする。

●「法隆寺になれ」
 大震災後のいまこそ、岡本太郎の思想がもつ普遍性は、より大きな意味をもつと思う。彼は、49年に法隆寺金堂壁画が焼失した数年後、「今さら焼けてしまったことを嘆いたり、それをみんなが嘆かないってことをまた嘆いたりするよりも、もっと緊急で、本質的な問題があるはずです。自分が法隆寺になればよいのです」と言い放った。このドキリとする言葉の意味を、いまこそ多くの人に噛(か)みしめてほしいと思う。
  ◇
やました・ゆうじ 美術史家 58年生まれ。著書に『岡本太郎宣言』など。

2011年4月17日日曜日

原発事故とコミュニケーション 神里達博さんが選ぶ本

■専門知と市民、どうつなぐ
 絶え間なくメディアからもたらされる悲劇的な映像を見ていると、私たちが築いてきた文明がまるで張りぼてであったかのような無力感を覚える瞬間がある。だが、こういう時にこそ、理性の力が試される。それは結局のところ、言葉の、コミュニケーションの力をどこまで信じられるかに、かかっている。
 一方でこの1カ月間、とりわけ原子力発電所の事故に伴うコミュニケーションは、うまくいったとは言いがたい。そこには発表の仕方やタイミングといった手続き的な問題もあるが、放射能の評価、避難指示の範囲や安全基準の根拠など、不確実性を含むリスク情報をめぐる混乱が、ことの本質であろう。とはいえ、これらを真正面から読み解くには、高度の専門知が必要で骨が折れる。ならば一般市民はどんな種類のリテラシーを身につけるべきなのだろうか。

■リスクを知る力
 『リスクセンス』は人々が生活の中で出会う、さまざまなリスクとつきあっていく上での基本的な考え方を、豊富な事例で解説する。リスク概念の歴史的背景や、安全性の基準がどのような論理で作られているのかなど、読み物としても面白い。複雑化した現代においては、リスクセンスを磨くことで「大局的に見る力を養うべき」という指摘は、現在の我々に響く。
 併せて紹介したいのは、災害時における人々の心理を扱った広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』(集英社新書、735円)である。今回の震災でも「パニックに陥らないように」ということがしばしば言われた。だが最新の研究によれば、現代人は災害時にパニックを起こさず、むしろ逃げるべき時に逃げない「正常性バイアス」こそが危ういという。災害時のデマなども扱っており興味深い。
 我々は短期的なリスクについてのみならず、今後、社会全体として原子力という技術にどう向き合うべきか、議論を避けるわけにはいかないだろう。そこでは客観的で公平な知識、とりわけ歴史的視座が重要となる。だが長い間、原子力発電を巡る議論は、推進と反対にほぼ完全に分極してきたこともあり、中立的で読みやすい本は少ない。そんな中『「核」論』は、我が国の原子力の歴史を努めて公平な立場から描いた良書である。

■協働の場確保を
 また今回はっきりしたように、原子力という技術は社会的影響が大きく、その決定において専門家にすべてを委任するわけにはいかない問題である。実は近年、生命倫理や地球温暖化なども含め、このような「科学によって問うことはできるが、科学だけでは答えの出せない問題」が目立っている。『トランス・サイエンスの時代』は、この状況に対し、専門家と市民をつなぎ、協働の場を確保する仕組みを説く。「科学技術の成果に大幅に依存した社会を選択」した我々は、誰もが参加の権利と義務を持つのだ。
 未曽有の大災害のなか、ネットのメディアとしての役割が一気に高まったことは、一つの希望でもあった。専門家が自発的に人々に「つぶやく」ことで、ライブのリスク・コミュニケーションを行うという状況は、過去に例がない。佐々木俊尚『キュレーションの時代』(ちくま新書、945円)は、このような全く新しい情報環境の姿を包括的に素描する。本書で示される電子民主主義的な信頼付与システムと、専門知の権威性とが、どのように「止揚」するのか——2010年代の大きな軸になるのではと感じた。
  ◇
かみさと・たつひろ 東京大特任准教授(科学史・科学論) 67年生まれ。著書に『食品リスク』。

2011年4月10日日曜日

転機の地方自治 新藤宗幸さんが選ぶ本

■首長・議会、二元代表制の行方
 第2次大戦後の民主改革のなかでも大きな「成果」は、地方自治制度の改革であった。自治体の政治制度は、直接公選の首長と議会からなる二元的代表制を基本とし、両者の抑制と均衡でその意思を決めるとされた。

 とはいえ、両者の権限関係は「強い首長・弱い議会」でもある。再議権、専決処分、予算の作成権、議会の招集権などは首長権限である。加えて戦後改革から1999年度まで機関委任事務制度が自治体行政に重きをなした。個別の仕事ごとに首長や行政委員会を法令で各省大臣の地方機関と位置づけ、大臣の指揮命令のもとに仕事を処理させるものであった。これは2000年4月の第1次地方分権改革で廃止され、自治体の自由度がたかまった。だが、この改革以降、住民の自治体議会を見る眼(め)は、徐々にきびしさを増した。
 実際、機関委任事務体制のもとで議会権限が制約されてきたこともあって、議員は首長との政治的取引によって支持集団への利益の還元を指向してきた。また都道府県議会や大都市議会には、既存政党の系列化が進行した。一方で市町村議会は地域有力者支配から脱却できていないところが多い。いきおい住民の眼に議会は、仲間内だけの閉鎖的な機関であり、課せられた行政のチェック機能を果たしていないと映る。

●地域政党の登場
 西尾勝『地方分権改革』は、第1次地方分権改革の意義や残されている課題を論じるが、議会不信論は不要論ではないとの立場から、議員構成や報酬の見直し、選挙制度の改革、会期制度の廃止と夜間開催などを提起する。
 近年では議会基本条例を制定し議事運営などを改めようとする議会も現れているが、改革の進捗(しんちょく)度は遅い。最近の議会改革の動向を知るには、日経グローカル編『地方議会改革の実像』が役立つ。また、議員の報酬やその他の費用、議会運営の実態などを、事例を交えて論じたものに竹下譲『地方議会 その現実と「改革」の方向』がある。
 ところで、近年、名古屋市や大阪府にみるように、首長が自ら「地域政党」なるものを立ち上げ、議会に自らの意に叶(かな)う政治勢力を築こうとする動きが顕著である。実際、3月13日の名古屋市議選では、「減税日本」が第1党となった。4月10日投開票の大阪府議、大阪市議選挙でも「大阪維新の会」が過半数獲得を目指している。
 これは二元的代表制が予定する、民意を自治体政治に反映させる多元的チャンネルの否定に通じかねない動きである。ただし、首長の政治権力の確立指向に「大衆的支持」があるのは、議会が自己改革を怠っているからだといってよい。議会は変わりうるのか、注目されよう。

●画一から多様へ
 こうした動きと微妙に関わりながら、自治体政治制度を国政に倣った「議会内閣制」に改めるべきとの構想も提起されている。画一的制度から多様な制度への転換は、これまでにも指摘されているが、現実味を増すかもしれない。だが、その是非を論じる際に意外と知られていないのが外国の制度だ。比較地方自治論として山下茂『体系比較地方自治』(ぎょうせい、3500円)がある。日本の地方自治のあり方を考えるのに貴重な文献である。
 戦後65年を経過した現在、画一的な自治制度が転換期にあることは確かである。
  ◇
しんどう・むねゆき 東京市政調査会研究担当常務理事 1946年生まれ。著書に『司法官僚』など。

2011年4月3日日曜日

大震災と喪失感 香山リカさんが選ぶ本

■時間をかけ、感情と向き合う
 戦後最悪の自然災害となった東日本大震災と、それに続く福島第一原発の事故。

 失ったものの大きさに、ただ呆然(ぼうぜん)としている人、いまだに恐怖や不安で落ち着かない人も少なくないだろう。世間は「一日も早い復興を」と盛り上げようとしているが、とてもそんな前向きな気持ちにはなれず情けない、と自分を責めている人もいるはずだ。
 しかし、それはあたりまえのことだ。今回の震災の犠牲者は1万人をはるかに超え、増え続けているが、その数が何万になろうとも、家族や知人にとってはそれはあくまで“愛する人ひとりの死”なのだ。悲しむ人や悲しみ方も当然、その分だけあり、決して「1万人分の悲しみ」という何かがあるわけではない。

●せかすこと慎む
 自らも愛妻をがんで亡くした医師・垣添忠生氏の『悲しみの中にいる、あなたへの処方箋(せん)』は、愛する人を失って悲嘆に暮れる人たちの心に、やさしくそして具体的に寄り添おうとする本である。「本なんかで勉強してもこの悲しみは消えない」と思う人もいるかもしれないが、「“そんなはずはない”という否認」「“誰もわかってくれない”という疎外感」など、親しい人と死別した場合に誰にでも起きうる反応が具体例をあげながら示されると、「私だけじゃなかったんだ」とそれだけでも気持ちが落ち着くのではないだろうか。
 では、どうすればそこから立ち直れるのか。本書の中で、著者は繰り返し、「『悲しむこと』に一心に打ち込むこと」、「我慢や遠慮をせず、おおいに涙を流すこと」の効用を説く。それをするには、時間や場所なども必要になるだろう。悲しみに暮れる人を「一刻も早く立ち直って」とせかすことを、私たちは慎まなければならないのである。
 『それでも人生にイエスと言う』は、第2次大戦中、強制収容所に収容された経験を持つ精神科医、フランクルの講演集だ。自らも極限的な苦しみを味わったはずのフランクルだが、人生における「苦悩」の意味を積極的に認めようとする。しかし、ただ苦悩すればよい、というわけではない。「苦悩が意味をもつかどうかは、その人にかかっているのです。その人だけにかかっているのです」。絶望のどん底にある人にとっては、いささか厳しすぎる言葉だが、「苦しみや困難を意味あるものにできるかどうかは、私次第」とつぶやくと、一筋の光が見えてくるようにも思う。
 そして、本書で何よりすばらしいのは、「それでも人生にイエスと言う」というタイトル。これは、収容所の人たちが自分たちで作った歌の一節だそうだ。

●小さな芽吹きが
 『もこもこもこ』は、私が昨年、父親を亡くしてまもなく、柳田邦男氏と対談したときに教えてもらった擬音だけの絵本だ。大地に何かが芽吹いて「もこもこ」「にょきにょき」と育っていき、「ぱちん!」とはじけて、その後に広がるのは「しーん」という静寂。しかし、裏表紙の内側「見返し」と呼ばれる部分に、小さく「もこ」と次の芽吹きが……。それ以上、何の説明もないのだが、悲しみによる混乱が続いていた私の心の中で、すとんと何かが腑(ふ)に落ちた。
 悲しみを悲しみのまま、抱きしめる。時間をかけてその感情と向き合い、自分なりの、自分だけの意味を見つける。そこから始めるしかないが、それは必ず始められるはずなのだ。
  ◇
かやま・りか 精神科医 1960年生まれ。著書に『生きてるだけでいいんです。』など。

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