2011年7月24日日曜日

復興と建築  五十嵐太郎さんが選ぶ本

■欠かせない地図的な想像力
 東日本大震災は建築の関係者にも大きな衝撃を与えた。長い時間をかけて形成してきた多くの街が押し寄せる津波によって壊滅したからである。そして住宅やビルがこんなにも脆(もろ)く、はかない存在だったことを見せつけられ、建築に何が可能かを自問せざるをえない状況がもたらされた。実際、体育館などを使う緊急の避難所生活、そして次の段階の仮設住宅は、現場で急速に進む事態であり、震災が起きてから初めて考えても、なかなか間に合わない。やはり、建築家の職能は、第3段階の復興、すなわち新しい街づくりや施設のデザインを行うときに、豊かな地形や街の記憶をきめ細やかに読み込む空間の読解能力が本格的に役立つだろう。
 もっとも、以前から世界各地で支援を継続し、今回も活動した建築家として坂茂が挙げられる。『Voluntary Architects’ Network』は、阪神大震災後の紙のログハウスに始まり、新潟県中越地震での避難所用の間仕切りシステム、スリランカの津波復興住宅、四川大地震後の仮設校舎などの試みを紹介したものだ。
■「持ち家」の再考
 佐賀県は支援策として、最大3万人の被災者受け入れを表明したが、被災地の近隣に仮設住宅を新しく建設しなくても(またその遅れを声高に批判しなくても)、仮に全国の空き家を積極的に活用したり、シェアが進めば、住まいの確保は一気に解決するかもしれない。
 牧紀男の『災害の住宅誌』も、世界の事例を分析しながら、人の移動を前提に住まいを考察するユニークな視点を打ちだす。今回の震災についても、人口増加の時代の復興モデルとは違い、すでに進行している人口減少を意識した計画が必要だという。彼によれば、持ち家に住み、1カ所に定住するのは災害の少なかった戦後から高度経済成長につくられた幻想であり、地震災害の時代となる21世紀前半は持ち家システムを再考し、不特定多数の人が交互に利用できる住宅ストックを整備した柔軟な社会が求められる。そして「復興」という言葉自体に高度成長期のイメージがつきまとっており、むしろ仕組みが生まれ変わる契機という意味で「再生」の方がふさわしいのではないかと述べる。
■地理を読みとく
 3・11以降、筆者は沿岸部を中心に、青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の各地を歩いた。頭ではわかっていても、実際に訪れることで被災したエリアがあまりに広域であり、かつ多様であることが身体で理解できる。そうした後だからこそ、『東日本大震災 復興支援地図』(昭文社、千円)と『地図で読む東日本大震災』をより興味深く読んだ。前者は浸水範囲や通行禁止区域、避難所や災害対策本部などの情報を詳細にプロットし、後者は地震に関する各地の状況のほか、今後も見据え、立体的なデータによって日本の原発や活断層の位置も収録する。
 東日本大震災を理解するためには、地図的な想像力を欠かすことはできない。テレビで切りとられた被災地の映像を見て、政治に憤慨するだけでは不十分だ。それぞれの街がもつ人工的な風景と日本の複雑な地形が生みだす自然の風景が織りなされた豊かな世界が傷ついたのである。被災地は同一のシステムを応用すれば、すべての問題が解決するという単純な記号ではない。今後の街を考えるためには、まずマイクロレベルで地理を読みとくことから始めるのが重要だろう。
 ◇いがらし・たろう 東北大教授(建築史) 67年生まれ。著書に『過防備都市』など。

2011年7月17日日曜日

TPPと自由貿易 太田昌国さんが選ぶ本

■世界共通ルールの不条理さ 昨年10月、菅直人首相は「TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加を検討」すると表明した。TPP構想は元来、貿易依存度が高い小国の話し合いから始まった。そこへ米国が参加を表明し、性格が一変した。政治・経済・軍事・文化的影響力で並ぶ国がない米国が登場すると、何事につけても事態は変化する。TPPは、その時点で、物品貿易の全品目の関税を即時ないしは段階的に撤廃するばかりではなく、投資、知的所有権、労働、医療、保険、労働者の移動などに関わる包括的な協定となる性格を帯びた。
 ひとたび発効すれば、それはヒトとモノをすべて商品化し、市場原理の中での熾烈(しれつ)な競争に巻き込む強制力をもつ。米軍の侵略で山野を焼き尽くされた後遺症に苦しむベトナムは、TPPの下では米国との農産物取引を共通のルールで行わなければならない。その不条理さを指摘する宇沢弘文氏の発言(「世界」2011年4月号)は、自由貿易の本質を衝(つ)いて、重要だ。
■中韓なぜ不参加
 米国政府と多国籍企業が主導するTPPに、民主党政権が前のめりになるのはなぜか。当初の東アジア共同体構想から日米同盟重視への路線転換と関係しているのか。菅首相の提起は唐突であったが、財界はこれを歓迎し、「参加しないと日本は世界の孤児になる」とまで言う。大方のメディアも、連合指導部も同じ意見だ。
 TPPを推進する大きな流れに抗する動きが出てきたのは、年が明けてからだ。論議が深まろうとするころ、「3・11」が起こった。今後のTPP論議は、社会・経済の構造を根本から揺るがしているこの悲痛な出来事を前に、真価を問われる。
 活発な批判を展開しているのは中野剛志氏で、『TPP亡国論』などの著書がある。推進論者の見解も紹介したうえで批判的な分析を行っているから、読者は論議の水準を公平に見きわめながら読み進めることができる。「環太平洋」というふれ込みなのに、中国と韓国がTPP参加を考えていない理由の考察もあって興味深い。逆にベトナムのような小国は、グローバリズムの太い流れに追い詰められて、自由貿易協定への参加を急ぐ。切ない現実である。
 視野を広げて、自由貿易が孕(はら)む問題点を世界的な規模で指摘するのが、トッドの『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』である。確かに、TPPのような地域限定のものも含めて自由貿易協定はすべて、人間・地域・文化の多様性を否定し、世界を単色に染め上げる点に特徴がある。反対論に色濃い民族主義的立場からの国益論を離れて、対等・平等であるべき国家間・民族間の関係を今まで以上に壊すという観点からのTPP批判を深めるうえで本書は役立とう。
■食料主権と農業
 TPPを食と農業の観点から見ると、多くの人にとって身近な問題となる。『食料主権のグランドデザイン』には、「食料危機・食料主権と『ビア・カンペシーナ』」と題する真嶋良孝氏の論文がある。スペイン語で「農民の道」を意味するビア・カンペシーナは、グローバリズムに抵抗する運動の中で重要な役割を果たしている、国境を超えた農民運動である。ここでいう食料主権は、国家主権の主張とは重なり合わない部分があることの意味を、深く考えたい。
 食に関しては「地産地消」という言葉と実践が大事だが、福島県の生産者と消費者は、今この言葉を口にできない。その悔しさと哀(かな)しみを思いながら、この小さな文章を書いた。

 ◇おおた・まさくに 43年生まれ。著書に『「拉致」異論』『暴力批判論』など。

2011年7月10日日曜日

「3.11」前の原子力本 尾関章が選ぶ本

■「イデオロギーの技術」の罠
 本屋さんには、新刊の原発本が山積みだ。だが、こんなときは、3・11に先立って世に出ていたものをまず読みたくなる。そこには、確実に後知恵ではない真実がある。
 1冊目は『原発事故はなぜくりかえすのか』。著者は2000年に亡くなるまで脱原発を訴え続け、推進派からも一目置かれた科学者だ。
 読み返すと、はっとする一文に出会う。原発では、危急の事態を「人為的で動的な介入」で切り抜けようとするな、というのだ。「モーターが動かないときはどうするのかという問題が必ず出てきます」。まさに、電源喪失の警告ではないか。
 危機には、モーターよりも重力のような「自然の法則」に従う制御がよいという。反原発を棚上げしての助言とも読める。だが、自然流の極みに「太陽」などがあるとして脱原発を説く。鮮やかな論理展開だ。
 原子力企業に勤めた若いころ、この業界は「議論なし、批判なし、思想なし、の状態だった」と振り返る。この本は、市民科学者が、がんによる死の直前に残した言葉の結晶である。
■放射能の「悪さ」
 放射線の話では『いのちと放射能』。DNAを受け継ぐ生き物の営みに、放射線がどんな悪さをするかを語る。詩の一節などがちりばめられ、理性と感性が響き合う良書だ。
 著者は、生命科学が専門。放射線を日々少しずつ浴びたときの影響が見分けにくいことを示し、「はっきり統計的に証明できないところにこそ、この問題のおそろしさの一端がある」と、被曝(ひばく)リスクの核心を突く。
 放射性物質は、著者も実験に使ってきた。「針一本、ティッシュ一枚」の汚染まで記録して、目を光らせるのだという。少量を知的探究に用いるのではなく、大量に扱って膨大なエネルギーを得ようとする企てに無理はなかっただろうか。
 鎌田慧著『原発列島を行く』(集英社新書・735円)は「すべてカネの力で解決するやり方」で進められた原発立地の現場報告。10年ほど前の日本では、作業員の被曝線量が、いま問題視される水準よりずっと低くても心配されていた事実に立ちすくむばかりだ。
 有馬哲夫著『原発・正力・CIA』(新潮新書・756円)は、日本の原子力政策の源流に渦巻いた野心や思惑に迫る。
■草の根の再設計
 私が思うのは、この機会に、科学や技術を人間の尺度で再設計できないかということだ。
 ヒントとなるのは、かつて原子炉開発にかかわったこともある理論物理学者が書いた『科学の未来』。原子力をイデオロギーの技術と位置づける。
 政治の右、左ではない。「広島・長崎の廃墟(はいきょ)の中から何か平和的かつ有益なものをつくりだしたいという強烈な願望」が、凝り固まった信念に化けたというのだ。日本では、それが政界の思惑と絡み、国の科学技術政策の柱となり、産業界とも結びついたということか。
 イデオロギーの技術は、失敗が許されず、途中で降りることもできない、と著者はみる。そこに待ち受けているのは、「自分は過ちを犯さないと信じるという罠(わな)」である。
 原子力を論じたくだりはわずか。別の箇所では、研究者の自由な創意に根ざす小さな科学や、アマチュアも力を発揮できる科学に光をあてている。
 科学技術を草の根から組み立てるリベラルな発想が、いまこそ求められてはいないか。

 ◇
おぜき・あきら 51年生まれ。著書に『量子論の宿題は解けるか』。

2011年7月3日日曜日

地震予知は可能か 泊次郎さんが選ぶ本

■「前兆」の空しさ、歴史に目を
 地震発生を前もって知ることができたら、というのは古くからの人類の夢であった。日本でも、気象が異様である、星や月が近く見える、動物が異様な行動をとる、などさまざまな地震の「前兆」が伝えられてきた。 1880年の横浜地震の後、お雇い外国人たちが中心になって日本地震学会がつくられると、地震予知の実現は地震学の目的の一つに掲げられ、「前兆」が近代科学の対象になった。
 以来、大地震が起きるたびに地震予知は社会の大きな関心を集め、関心がさめかけたころに次の大地震が起きるという歴史が繰り返されてきた。1965年からは国の地震予知研究計画が始まり、今も続いている。
 科学観測によって報告された「前兆」は数多い。本震の前に起きる前震、震源付近での地震活動の活発化や静穏化、地殻の変動、地震波速度の異常、地下水位やラドン濃度の異常、電磁気や地電流の異常などである。

■なかった再現性
 これらの前兆をもとに大地震の直前予知は可能である、と考えた研究者も少なくなかった。78年には、東海地震が予知できることを前提にして、大規模地震対策特別措置法(大震法)が制定された。
 ところが、これらの「前兆」は、地震が起きた後にそれと分かったものばかり。しかも、「前兆」の出現の仕方はバラバラで、何の規則性も、再現性もなかった。予知の決め手になる「前兆」は何も見つかってはいない。「前兆」発見に重点を置いた地震予知計画の空しさや大震法の問題点については『「地震予知」はウソだらけ』に詳しい。
 95年の阪神・淡路大震災の後、政府は地震調査研究推進本部を設け、どこで大地震が起こる確率が高いかの予測を公表するようになった。地震予知計画も見直され、基礎的な研究に重点を置くよう軌道修正された。一方で、世界に例を見ない高密度の地震観測網が整備された。
 これにより、東日本大震災を起こしたプレート境界地震などについて新知見が得られた。この10年間の進展を紹介したのが『地震予知の科学』である。
 プレートの境界面は普段、どこもべったりくっついているわけではない。地震を起こさずズルズルとすべっている部分と、がっちりと固着している部分(アスペリティ)に分かれていて、アスペリティが急激にずれ動くと地震になる。東北日本では、アスペリティは境界面の3分の1程度であり、「地震が発生する場所と規模に関しては、ほぼ実用的な予測はできている」——と、本書は述べていた。

■過去のデータを
 だが、今回の東北大地震がマグニチュード9の超巨大地震になったのは、地震を起こさないと考えられていた3分の2の部分も大きくずれ動いたからであった。「いつ」はもちろん、「場所」と「規模」についても「想定外」だったのである。
 『超巨大地震に迫る』は、このような「想定外」がなぜ起きたのか、という問題にも迫っている。一言でいえば、超巨大地震が東北日本で過去にも起きたという例を知らなかったためである。歴史を参照することなしに、未来を予測することなどできない、というのが現在の地震科学の限界なのである。
 限界を克服するには、不思議な現象に向き合う研究者の好奇心を大切にすると同時に、過去の地震に関するデータ収集に優先順位を与えるべきだ、という著者の主張が新鮮に響く。
 
 ◇

とまり・じろう 東京大地震研究所研究員(地球科学史) 44年生まれ。元朝日新聞編集委員。著書に『プレートテクトニクスの拒絶と受容』。

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